愛知学院が、明治9年に、宗門人教育のための曹洞宗専門学支校として創立された当初から、今日の私立総合大学に発展するに至るまで142年を経過した現在、一世紀以上にわたり、学院教育の中核理念として終始一貫変わらなかったものは、「行学一体・報恩感謝」の建学の精神にほかならない。すなわち「仏教精神、特に禅的教養を基とし『行学一体』の人格育成に努め『報恩感謝』の生活のできる社会人を育成し、広く世の各界に寄与する」のが愛知学院の教育の理念である。この建学の精神にもとづく教育によって本学は、今日まで多くの人材を社会の各方面に送り出し高い評価を得てきている。

建学の精神「行学一体」とは、曹洞宗の開祖道元禅師の宗教体験からにじみ出た教えである。「行学一体」という宗教的体験の次元の教えを、教育の次元において拡大解釈するならば、行とは「修行」の行で、「人間形成」とか、「人間を磨く」ということであり、学とは、「真理を学ぶ」とか、あるいは、「知識を磨く」の意味である。「知識を磨く」ことと、「人間を磨く」こととは、一つであって別々のものであってはならない、ということを意味する。すなわち単に観念的な理論だけに満足しないで、あくまでも心身を傾けて、真に身についた学問を体得すること、そして結果的には、学識の進むに従って、同時に人間的にも立派になることを目標とする修学態度が「行学一体」であり、本学の教育の特色を方向づける指針に他ならない。

「行学一体」は、もちろん仏教精神を基とするものであるが、そもそも仏教の教えるところは、右でもなく、また左でもない、いわゆる中正・中道の精神である。中正とか中道といえば、直ぐに両極の中間とか、あるいはいわゆる中立または中庸というような安易な在り方を考えがちであるが、仏教の中道の精神は、そのような単純なものではない。積極的で、しかも内面的には、人間としての真の在り方を追求することをも含む言葉である。およそ人間の歴史的現実は、極めて複雑である。複雑な人間社会を力強く、正しく生きてゆくためには、われわれは、事柄に身をおいて常に客観的な正しい判断を必要とする。客観的な正しい判断は、自己自身の主体性の確立があって初めて可能である。その意味で、「社会に役立つ穏健中正な社会人を養成することを目的とする」愛知学院の教育は、そのよりどころを、仏教の中道の精神に求め、歴史的現実を客観的に正しく見つめ、何事につけても正しい判断を下し得るような自己を磨き、引いては、「報恩感謝の生活のできる社会人を養成する」ことを期している。

現代社会は、情報化・国際化など人類にとっての新しい領域を拡大展開しつつある。かかる状況にあって、これからの地球社会に巣立って行く者は、未知の経験の中で新知識・新技術を学び、その活用をはかって行かねばならない。前向きの積極的な学習を自ら課して行くことがなによりの要諦である。と同時に、いかなる社会的・文化的変動の推移にあっても、それを受けとめ、それを人々の幸せに転換する主体は、変らざる人間であり、自己自身であることを自覚して、使命感あふれる自己形成の道をふみ固めること、これが本学の教育の原点であり、生命力である由縁である。

ページの先頭へ